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桂米朝師匠 [芸能]

 春の彼岸の3月19日、落語家で初めて文化勲章を授章した人間国宝・桂米朝師匠が逝去されました
89歳の大往生です。
 約40年のお付き合いをいただいた私も上方落語の巨星が消えたことに涙を禁じえません。
 出会い以来、サンケイホールの正月、夏の独演会ではその高座姿を舞台の袖から描かせていただいてきましたしお酒の席、カラオケもご一緒しました。
米朝高座32.jpg
 テレビやラジオでもともに出演し、落語以外の多くのことを学ばせていただきました。
 番組の絵も多く描きました。
米朝夏の医者32.jpg

 戦後、私は東成区の今里で過ごしました。この地は五代目笑福亭松鶴師匠が作った楽語荘があり、
米朝さんの師匠四代目桂米團治師匠とも滅びゆく上方落語を憂いて「上方はなし」の出版に携わっていました。 昭和22年、米朝さんが弟子入した米團治宅も今里でしたから私とは気が合いよく昔話もしました。
 イラチなこと鍋奉行であることなど世間ではあまり知られていませんが、その生活などは常に端正でした。
 多くの噺を復元、作成したしたことはすでに知られていますが、これらは東京の落語にも少なからず影響を与えていることは一部の人しか知らないでしょう。
 
 先年尼崎で開かれた「桂米朝展」に並んだ賞状・トロフイーの数には目を見張りました。
 この展では、私の絵も飾ってあり、白井文前尼崎市長とともにご覧いただきました。
尼展米朝32.jpg
 数年前から小澤紘司さんや古川綾子さんによって、多くの段ボールにつめられた米朝さんの記録などが調査されていますが、名作「一文笛」などの生原稿が発見されて話題になりました。
 これからはアンドロイドロボットでしかその姿を見ることができないのは残念です。
 「百年目」などの大店の旦那、「鹿政談」や「天狗裁き」などの奉行のように米朝師匠のはまり役
 はだれが演じても超えることができないでしょう。
 戦後の上方落語の乏しい火を受け継いで駈けて来た四天王がまたひとり欠け、三代目桂春團治師匠だけになりました。
 今、上方落語協会会員約200人、桂米朝一門は70人、戦後十数人だったことを考えるとその努力
がいかに大きかったか頭が下がります。
米朝ハワイ32.jpg

 三代目桂米朝師匠、ありがとうございました。
 さようなら。          合掌
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バタヤン [芸能]

今封切り中のオース!バタヤンを観てきた。青春時代、ミナミの大劇で観てからのフアンだ。じつは彼の大利根月夜を歌ったのは9才で集団疎開先だった。
次兄が教えてくれたのので歌えたのだが、これはわたしが3歳の頃のリリース曲だ。
 先日、94才で鬼籍に入ったのだがこの映画は少年時代過ごした大阪の鶴橋に里帰りして小学校で開いたコンサートを軸に大劇、中座、など各地のステージでかって歌ている姿をダブらせてわたしを昭和の昔に帰らせてくれた。
 映画館はかってバタヤンのうたを青春の軍歌とした熟年ばかりでその歌に酔い涙を流していた。
 彼のもつ庶民性が人気の根源だが、歌のうまさも今の歌手なんかアッチャイケだ。
 浜村淳の名調子にのって出てきた歌う冒頭のシーンでもう涙が吹き出した。
 キダタローさんが「わてらプロでも舞台の袖に行って聴きましたで」と話してくれたほどのうまさだった。バタヤンの歌には辛酸が沢山たくさんつまっていて涙の味がするんだな。
 いろんな思い出をくれたバタヤンありがとう
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ワッハ殿堂入り [芸能]

平成24年度ワッハ上方の殿堂入り表彰式がありました
wahha13.jpg
第16回の今回はコメディア岡八朗さんと上方柳次柳太さんでした。これで私の絵は46組71人目となり、そのお披露目も同時にありました。’13ワッハ岡320.jpg柳々320.jpg岡さんの弟子のオール阪神、巨人さんや上方よしおさんも駆けつけご家族とともに喜んでいました。ワッハ13.jpg
特別展は2月19日まで「ワッハ上方」4回展示室で開展中です。wahha .jpg

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落語会 [芸能]

上方落語家・桂福団治師匠が来たる3月1日(金)天満天神繁昌亭で去年10月に鬼籍に入った藤本義一さんの追悼落語会を開きます。藤本さんの直木賞受賞作「鬼の詩」の映画に主演した福団治師匠はこの会のタイトルを「鬼の詩が聴こえる」としました。
福団治.jpg
第一部は「藤本さんの思い出トーク」で統紀子夫人、直木賞作家・難波利三さん、とわたしが出演します。
 第二部は落語会で、藤本さんが名付けた福団治師匠の弟子桂七幅、と福丸も出演します。
問い合わせは06-6352-4874(天満天神繁昌亭)、06-6622-7848(桂福団治事務所)
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墓参 [芸能]

新年恒例にしている故桂枝雀師匠のお墓に参ってきました
初めてのことですが、今年は枝雀師匠からこんなメッセージが届いていました
お元気なようです
枝雀墓.jpg
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六代文枝 [芸能]

落語の町、大阪の池田市に落語ミュージアムがあります
この施設ができるときに壁面にこの地のネタ「池田の猪買い」の絵を頼まれて描きました。
先日、この地の住人6代桂文枝襲名の襲名披露がアゼリアホールでありました
その舞台の後ろ幕はこの絵でした。  
新旧の池田市長も見え、桂福団治、月亭八方、桂きん枝師匠などが口上に並びました。
六代文枝師匠は「恋するサブレ」を演じました。
終演後のパーティで師匠は得意のウクレレでバンド演奏を聞かせてくれました。
大橋節夫ばりの甘い声で「小さな竹の橋の下で」や「フキラウソング」などフラダンサーも踊らせての
大サービスでした。文枝楽団320.jpg
このときも先ほどの後ろ幕が飾られました。
紋付もいいけどアロハシャツの文枝師匠もまた良いでしょう
文枝と320.jpg
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新文枝 [芸能]

桂三枝さんが六代目桂文枝を襲名する披露パーティが東京、大阪であった。7月5日、大阪会場のホテルに招かれて行った。
 新文枝誕生のお祝いに来た人は約1200人。
 お祝いは文楽の寿式三番叟から始まった新文枝1.jpg新文枝2.jpg
 つづいて繁昌亭落成時に新しく作り寄贈された初代桂春団治ゆかりの赤い人力車にのった六代桂文枝
が華やかに登場した。新文枝3.jpg会場内1周して登壇。
 大書された六代 桂文枝が目に入った。新文枝4.jpg
 先日ともに食事をしたときに「六代目」と言えば先代笑福亭松鶴のことだから自分は「六代」でゆくと言っていた。
 舞台上手にハンドボール代のボールが飾られている。これは、阪神タイガース和田監督からの祝いの品だ。
 1970年前後、大阪天六の市民会館で「鳥の会」と言う落語会があった。ゲストは六代目だった。
 この会は、まだ学生だったと思うが彼河村くんがやっていた会だと思う。
 先代文枝師匠に弟子入りしラジオ、テレビに出て売れっ子になった頃、この若い落語家とテレビの仕事で一緒になることが多かった。
 バラェテー番組でなんかの罰ゲームで私の頭をおもちゃのバットで殴る機会があった。
 勢い込んでいた彼が一瞬躊躇した。が、痛かった。以来いろんな機会に席をともにすることが多い。
 いまも月一回食事をしながら川柳を楽しんでいる。難波利三、新野新さんら仲間が一緒だが、きっとじいさんのなかで気が休まるからだろうと思っている。
 上方落語の定席「天満天神・繁昌亭」に続き「上方落語会館」建設など上方落語協会会長として大きな仕事を成し遂げた上での襲名だ。この16日から228作目の創作落語をもって襲名披露公演のため全国を廻る。体に気をつけて大成功させてほしい。
 師匠の先代桂文枝。六代目笑福亭松鶴、桂米朝、三代目桂春團治ら戦後の上方落語を引っ張って来た 四天王に継ぐ「上方落語中興の祖」六代・桂文枝のさらなるご健闘を祈ります。
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聴く会 [芸能]

今年も春の彼岸に私の檀那寺・大阪谷町にある本長寺で「五代目桂米團治を聴く会」がありました。1949年、先代米團治の「聴く会」が当寺で第1回が開かれたのを記念して、新米團治襲名をきっかけに始めて今年で4年目になります。多方面で大活躍の師匠の今回の演目は「らくだ」でした。
始まる前、控え室の雑談でこのはなしは千日前の火屋(ほや)がサゲですねと言ったことから、谷町6丁目にあった「のばく」も近いことだしと思いついての高座となりました。
瀬川和久住職との鼎談もあって楽しい会になりました。
米團治32.jpg
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殿堂入り [芸能]

第15回上方演芸殿堂入りの表彰式がミナミにあるワッハ上方(大阪府立上方演芸資料館)で先日ありました
今回は落語家の二代目露の五郎兵衛師匠(故人)と漫才の若井はんじ・けんじ師匠(故人)でした。
第1回目から表彰者の似顔絵を描いていますがもう70人ー40組を越しました。
’12ワッハ露の白320.jpg
’12ワッハはんじけんじ白320.jpg
いずれも上方演芸に寄与した功績が多い方々で五郎兵衛師匠の怪談噺を藤本義一さんの家の階段に座って聴いたことがありました。
俄もやりましたし、桂小春團治を名乗ったことも上方落語協会の会長だったこともありました。
「あたまのさきまでピーコピコ」で一世を風靡したはんじけんじさんも思いで深い漫才師さんでした。いまこの二組の特別展が開かれていますのでご覧ください
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 [芸能]

先日、桂ざこば師匠の独演会に行ってきました
「子は鎹」は熱演で周辺からすすり泣きする様子が聞こえてきましたし、わたしも涙がほほを伝いました。
 一席目「ざっこばらん」は日常雑談のようなものでしたが、珍しくお孫さんの話しになりました。
 そして、舞台の上手に声をかけ誰かを呼び出しました。
 ワーッと客席が沸きました。なんと乳豆をくわえた可愛い坊やが出てきて物怖じもせずざこば師匠のヒザに座ったんです。
 大きな拍手が起こりました。
 「孫でんねん、これが初舞台です」
 こんな高座は初めてですがサンケイブリーゼブリーゼのホールの客席はは和みました。
 師匠の顔はこれ以上ないほど緩んでいました。
 終演後の打ち上げでこの緩んだ顔を撮らせてもらいました。
 1才半の郁翔(いくと)くんを抱いた師匠はどうです、好々爺の顔ダッシャロ。
 この子はどんな落語家になるんやろう。と、わたしが決めてもあかんけどね。
孫ざこば.jpg
 
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