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大発見 [文学]

2月23日.第26回織田作之助賞の授賞式に招かれ出席しました
その席上で幻の「もう一つの織田作之助賞」があったことが知らされました
発表者は、旭堂南陵(講談師)、高橋俊郎(大阪市立中央図書館司書)、古川武史(大阪市資料調査会調査委員)の三氏でした。
昭和22年、大阪で創刊された大衆文芸誌「太陽」12月号に第1回織田賞の募集がありました
その年の1月10日に東京で客死した大阪文壇の鬼才織田作之助の業績を記念したもので、発表は翌年8月号だった。
第2回募集は同年12月号で、入選発表は昭和24年10月号だった.
太陽誌は約4年間しか続かず戦後の混乱期のこともあって、雑誌研究からももれていた。
雑誌「太陽」主催の「織田賞」は第2回までというのが通説だったが旭堂南陵氏が見出した昭和25年(1950)の2冊と高橋俊郎氏が収集した昭和24年(1949)までの主だったバックナンバーによってその全貌がわかり、第3回も募集されていたことが南陵氏の所蔵本でわかった。
太陽23−8.jpg太陽織田作.jpg織田賞.jpg

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