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ありがとう藤本義一さん

畏敬する藤本義一さんが去る11月30日に鬼籍に入られた
鬼籍という言葉を知ったのも藤本さんの本だった
思えば45年の付き合いになる
読売テレビの深夜番組「11PM」で出会って以来だ3211PM.jpg
公私にわたっていろいろお世話になった
あるときは師、またあるときは父、そして兄、親友。
藤本さんは、いつもわたしのそばにいてくださった。決して押し付けがましくなくさりげなく自然体で、声を荒げることなく,大笑いすることもなく、ダンディーな人だった。
第71回直木賞を受けられた一ヶ月前、東京銀座で私は初個展を開いた。そのときも会場にかけつけてくださった。
株式会社藤本商店のひさしを借りて零細企業の成瀬屋が商いをしていった。
「ハンドルに遊びがあるようにゆとりを持て」とよくいわれた。
「たてまえの会」「この世スネターズ」などの仲間たちはその人柄に惚れて集まってきた。
「まじめに不真面目をやる」ということをわたしは藤本さんの思想のなかから学んだ。
「3時間しか寝れない」は「3時間も寝れる」と思ったら楽だ。
テレビ局のメーク室で暇を惜しまず原稿用紙にむかう後ろ姿を今でも忘れない。
 「蟻一匹炎天下」「人生ハ一幕ノ劇 主役ヲ演ジルモヨシ 脇役ニ徹スルモマタヨシ」「女の顔は請求書」などの名言は数多くある。
競馬も大好きだった。亡くなって病院から自宅より先に立ち寄ったのは仁川競馬場だった。
今年のダービーも取られたし,頼んで買ってもらった天皇賞もものにしておられる。馬主になりたい、映画を撮りたいなどいろんな夢は阿弥陀の国で果たしてください。
共に過ごさせていただいた日々の重さを今あらためて感じている。合掌
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