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新文枝 [芸能]

桂三枝さんが六代目桂文枝を襲名する披露パーティが東京、大阪であった。7月5日、大阪会場のホテルに招かれて行った。
 新文枝誕生のお祝いに来た人は約1200人。
 お祝いは文楽の寿式三番叟から始まった新文枝1.jpg新文枝2.jpg
 つづいて繁昌亭落成時に新しく作り寄贈された初代桂春団治ゆかりの赤い人力車にのった六代桂文枝
が華やかに登場した。新文枝3.jpg会場内1周して登壇。
 大書された六代 桂文枝が目に入った。新文枝4.jpg
 先日ともに食事をしたときに「六代目」と言えば先代笑福亭松鶴のことだから自分は「六代」でゆくと言っていた。
 舞台上手にハンドボール代のボールが飾られている。これは、阪神タイガース和田監督からの祝いの品だ。
 1970年前後、大阪天六の市民会館で「鳥の会」と言う落語会があった。ゲストは六代目だった。
 この会は、まだ学生だったと思うが彼河村くんがやっていた会だと思う。
 先代文枝師匠に弟子入りしラジオ、テレビに出て売れっ子になった頃、この若い落語家とテレビの仕事で一緒になることが多かった。
 バラェテー番組でなんかの罰ゲームで私の頭をおもちゃのバットで殴る機会があった。
 勢い込んでいた彼が一瞬躊躇した。が、痛かった。以来いろんな機会に席をともにすることが多い。
 いまも月一回食事をしながら川柳を楽しんでいる。難波利三、新野新さんら仲間が一緒だが、きっとじいさんのなかで気が休まるからだろうと思っている。
 上方落語の定席「天満天神・繁昌亭」に続き「上方落語会館」建設など上方落語協会会長として大きな仕事を成し遂げた上での襲名だ。この16日から228作目の創作落語をもって襲名披露公演のため全国を廻る。体に気をつけて大成功させてほしい。
 師匠の先代桂文枝。六代目笑福亭松鶴、桂米朝、三代目桂春團治ら戦後の上方落語を引っ張って来た 四天王に継ぐ「上方落語中興の祖」六代・桂文枝のさらなるご健闘を祈ります。
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