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織田作之助 [文学]

故・藤本義一さんが1986年から1989年にかけて中央公論社から出版した長編4部作『わが織田作・
蛍の宿、蛍の宴、蛍の街、蛍の死」が4冊が揃ったのでまた読み始めた。
おださく4、32.jpg
1、2の二冊は前からあったので読んでいたが4部作とは亡くなられてのち、統紀子夫人に聞いてはじめて知った。
 3は次女の芽子さんから4は心斎橋大学で氏の薫陶を受けた藤田恵子さんが探してくれた。
 もう忘れていたが1集の蛍の宿を開いたところに署名をいただいていたのを見ておどろいた。
義一サイン32.jpg
 1年後出たの2集にはない。どこでどうしてもらったか記憶にはない。
 愛用の万年筆だから本屋のサイン会ではないことは確かだ。
 今年は織田作之助の生誕100年、師の川島雄三監督も戦後の無頼派だったこともあって井原西鶴とともに読むことを奨められ、酒の肴にふたりでよくはなしをしたそうだ。
 わたしも存命中は藤本さんから西鶴と織田作の話をよく聞いた。
 2、3集の表紙の絵は藤本さんそっくりで、そういえば氏は織田作に似ていたのかなと今になっておもう。
 実は、数年前からはじめて小説を書こうと思ってマスを埋め始めていた。
 タイトルは『織田作ブルース」で、主人公は瓢一にしようかと思っていた。
 書きはじめでさんざん悩んだ。精華小学校からかワッハ上方からか織田作賞授賞式からか・・・
 というのは織田作の作品には大阪ミナミの風景が多く出てくる。
 そのいくつかはわたしが通学し、遊んだエリアでたいへん懐かしい。
 大劇地下の『スポーツヤード」の将棋コーナーなど彼も将棋を指しにいっていたし、その横の
 ミルクホールの『花屋」などもでてくる。
 織田作に会っていたかもわがミナミ   こんな思いの句もつくった
 あらすじを藤本さんに話そうと思いながらできなかった。
 さあどうしようか、悩んでいる。

 

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